千年帝国と百年人生

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何気に重要な整理整頓

引越直後は広々としていた部屋も、注意しないといつの間にかだんだんモノが増えていき、居住空間を圧迫するようになります。

私も例外ではありません。

自宅が散らかっていると、精神的にも仕事にもいろいろ悪影響が出ます。

何よりも、自分の部屋なのに探し物で貴重な時間を浪費するのは、あまりにもイタすぎますよね。

昔から修行の第一歩が掃除というのはありがちで、近年は悪しき風習みたいな捉え方をされることもありますが、そこには「自分が仕事をしやすくする環境づくり」という一面もあるのです。

アニメやドラマでよく見る「散らかっているように見えても自分はよくわかる」というのは幻想です。

過去の教訓から、年末の数日で一気に掃除や整理整頓・処分をしても絶対に終わらないので、年に6日ほど「掃除の日」を設けて、通常より大掛かりな掃除をするようにしています。

ここで問題となるのが紙の書籍です。現代は「電子書籍」という手もありますが、前世紀の古書をはじめ、書籍すべてが電子化されているわけではありませんし、「手に取って読める」メリットはかなり大きなものです

紙の書籍は嵩も重量もあるので、最優先で整理・処分の対象になります。

数年以上読んでいない書籍は、要するに必要度が低いので、電子書籍に置き換え可能なものは置き換えて、あとは古書店に引き取ってもらっています。

先週末部屋を整理中に、ビザンティン帝国に関する書籍を何冊か手に取りました。

長い間読んでいなかったのに、いざ整理となると、ついつい読み入ってしまうことはよくあるものです。

実際、今回もこの魔の手に墜ちてしまいました。

栞としてではなかったのですが、学生時代のレポートが本に挟まっていたのも見つけてしまい、貴重な週末が丸々潰れてしまいました。

ビザンティン帝国―その成り立ちから東ローマ帝国と呼ばれることもある、歴史的に不思議な魅力に満ちた国です。

世界の要衝に位置していたこの国を千年以上生き続けさせた活力源には、実は高齢化時代を迎えた私たちが大いに学べるものがあります。

折角なので、今日は当時書いたレポートも参考にしながら思うところを述べてみます。

人生を生きやすくする柔軟性

世間一般的に、中高年、特に男性に対するイメージはあまりよいものではないでしょう。

「困った中高年男性」は、ニュースやネットでもしばしば取り上げられるテーマ。

かくいう私も中高年男性なので、決して他人事ではありません・・・

人間は歳をとるとともに、身体だけでなく自分の考え方に柔軟性を欠くようになりがちです。

生きてきた歳月が長いので、過去の常識や経験に無意識に固執してしまうことがどうしても多くなってしまうのです。

この背景には、加速しながら日々進歩する科学技術や新しい価値観に対する戸惑いがあります。

これらにうまく対処できないと、次第に時代の流れに取り残される「疎外感」は強まり、その反動としての「被害者意識」「コンフォートゾーンへの逃避」が生じるようになります。

年甲斐もなく、日常的にキレてしまう高齢者も大元は同じでしょう。

そこまで酷くなくても、中高年世代の行動は、得てして時代遅れの自慢話・時代が違ったから通用したやり方・時代錯誤の根性論になってしまいがちで、これも忌み嫌われる原因になります。

過労死が大きな社会問題となった時、とある大学教授の、彼の価値観としては当然だった精神論が大炎上したのは記憶に新しいところ。

旧態依然の意識に固執することは、結局他者だけでなく、自分自身も生きにくくするだけにしかなりません。

だから、時代の変化に対応できる柔軟な思考を持つことは、年齢を重ねるうえで必要なテクニックなのです。

私も若い頃には、団塊世代の保守的な価値観に不満を持ち、心の内でより開放的で革新的な思考を求めたものです。

しかし、今の私なら、彼らがなかなか新しい流れに馴染めなかった背景が理解できます。

事実、彼らが四苦八苦しながらPCやネットと格闘し、異次元世界の新人類世代に振り回されたように、私もまたAI技術のキャッチアップや価値観の多様化への対応に腐心しています。

かつての自分がどのように社会を見ていたかを思い出すことは、現代の若い世代との関係を築く上で大いに役立ちます。

それにより彼らの視点を理解し、より有意義なコミュニケーションを図ることが可能となります。

そのためには、年齢を重ねても、若い頃にはごく自然に持っていた好奇心と学び続ける柔軟な姿勢を保ち続けることが重要なのです。

ビザンティン帝国の教訓

ビザンティン帝国の歴史は千年以上。

その理由は何でしょうか。

ローマの唯一正統な継承者?

コンスタンティノープルの城壁?

ギリシア火?

確かに経済的・軍事的・文化的、そして精神的な「ローマの遺産」はあったのでしょうが、一番は激動の時代に順応できた高い柔軟性にあったと思います。

「我こそはローマの末裔という建前」を堅持しつつも、ビザンティン帝国には古代のローマ帝国とは違って、血統や家柄とは関係なく、運と実力があれば誰でも皇帝になれる懐の深さがありました。

また、キリスト教国ではあったものの、コンスタンティノープルにはイタリア諸都市の市民のほか、敵のはずのイスラム教徒も多数住んでいました。

長年の度重なる異民族や異教徒との生存をかけた闘争の結果として、彼らとも共存する術を身につけていたのです(その意味で、かつて高校世界史の教科書にかかれていた「西欧の防波堤」という表現は実に不適切でした)。

市民の教育水準は高く、弱小都市国家となったものの、最後の王朝時代は多様性に富んだ社会がビザンティン史上最高の文化を産みだしました。

もちろん、綺麗ごとだけではなく、この国では幾度となくスキャンダル・陰謀・騒乱が繰り返され、これらが国力を衰退させたこともありました。

しかし、多くの国が歴史から消えてゆく中、時代の流れに柔軟に順応し生まれ変わっていくことで帝国が生きながらえたのは紛れもない事実で、見方によっては、しょうもない陰謀・騒乱までも活力の糧にしてしまったのです。

百年人生の時代、千年帝国の原動力となった「柔軟性」は、私たちの生き方の参考になるはずです。

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